無知と可能性の天秤
無知であることは無限の可能性が目の前に広がってることなんだ、って誰かが言ってた気がする。 でも、スキマスイッチのスカーレットって曲の歌詞にあるように、
"可能性"っていうものはずっと無限だとは思わない
これに関してはとても共感できる。 無知であることは可能性である、しかしその可能性とは無限のものではない。 つまり、天秤のようなものなんじゃないかと思う。
例えば15歳と30歳の2人の人間が居たとして、ある分野に関して2人とも同じ程度の知識しか持っていないとすると、"無知"の程度は同じレベルでも"可能性"の程度は全く違っているのではないか?
今日も今日とて燃料油脂新聞を読んでいたら、コスモの中期経営計画の公示があったようで、経営経済関係の用語が呪文の様に並んでいた。 しかしその用語の意味が分からず、当然文章もぜんっぜん理解ができなくて、改めて自分の無知を思い知った。 これはいけないと記事を写真に収めておいたので、一つずつ用語を勉強していかねば。
スカーレットの歌詞はこう続く。
駆け出すそのスピードに広がるイメージを
そしてまたスピードを
上げていく
天秤はまだ、傾いていない。